真言宗の仏事
宗祖
宗祖 弘法大師空海
ご本尊
すべての仏さまは大日如来が姿を変えたものである、という考えから、さまざまな仏さまがまつられます。
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教え
真言宗は真言密教とも言い、「即身成仏」を教えの根幹にしています。これは密教の修業の実践により、誰でもただちに仏になることができるという教えです。密教の修業とは、身体の修業である身密、言葉の修業である口密、心の修業である意密で、あわせて身口意の三密修業と呼ばれています。
お唱えする言葉
高野山真言宗「南無大師遍照金剛」
醍醐派「南無大師遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩」
御室派「南無大師遍照金剛、南無禅定法皇」
智山派「南無大師遍照金剛、南無開山興教大師」
豊山派「南無大師遍照金剛、南無興教大師、南無専誉僧正」
醍醐派「南無大師遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩」
御室派「南無大師遍照金剛、南無禅定法皇」
智山派「南無大師遍照金剛、南無開山興教大師」
豊山派「南無大師遍照金剛、南無興教大師、南無専誉僧正」
よく読まれる経典
『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地羯羅経』『瑜?経』『要略念珠経』『般若理趣経』
本山
真言宗には多くの派がありますが、ここでは十派だけをあげておきます。
- 高野山真言宗
- 高野山金剛峰寺(和歌山県伊都郡高野町高野山)
- 醍醐派
- 深雪山醍醐寺(京都市伏見区醍醐東大路町)
- 東寺真言宗
- 教王護国寺(京都市南区九条町)
- 泉涌寺派
- 東山泉涌寺(京都市東山区泉涌寺山内町)
- 御室派
- 大内山仁和寺(京都市右京区御室大内)
- 大覚寺派
- 嵯峨山大覚寺(京都市右京区嵯峨大沢町)
- 善通寺派
- 五岳山善通寺(香川県善通寺市善通寺町)
- 智山派
- 五百佛山根来寺智積院(京都市東山区東山七条下ル東瓦町)
- 豊山派
- 豊山長谷寺(奈良県桜井市初瀬)
- 新義真言宗
- 大伝法院根来寺(和歌山県那賀郡岩出町)
歴史
7世紀中頃のインドで、当時衰退の傾向にあった仏教の復興運動がおきました。この運動によって密教が盛んになり、西インドで『大日経』が、南インドで『金剛経』が成立します。『大日経』は善無畏三蔵によって陸路で、『金剛経』は金剛智三像によって海路で中国に伝えられました。中国に伝わった密教は、初めこの2派に分かれていましたが、空海の師匠である恵果和尚によって統一されます。
弘法大師空海は宝亀5年(774)讃岐国に生まれ、15歳で都にのぼり、仏教をはじめさまざまな学問を学び、各地の山野で修業しました。そして密教の実践を学ぶため中国へ留学、恵果に入門します。恵果は空海に会うなり「私はあなたが来るのを待っていました。すぐに密教の奥義を伝えましょう」と言ったそうです。つまり恵果は1000人を超える弟子の中から、正統な密教の継承者として空海を選んだのです。空海は帰国後、全国行脚を経て真言宗を開きます。
真言宗は興教大師覚鑁が高野山座主の時に古義と新義に分かれ、その後さらに分化し多くの派が生まれてゆきます。
弘法大師空海は宝亀5年(774)讃岐国に生まれ、15歳で都にのぼり、仏教をはじめさまざまな学問を学び、各地の山野で修業しました。そして密教の実践を学ぶため中国へ留学、恵果に入門します。恵果は空海に会うなり「私はあなたが来るのを待っていました。すぐに密教の奥義を伝えましょう」と言ったそうです。つまり恵果は1000人を超える弟子の中から、正統な密教の継承者として空海を選んだのです。空海は帰国後、全国行脚を経て真言宗を開きます。
真言宗は興教大師覚鑁が高野山座主の時に古義と新義に分かれ、その後さらに分化し多くの派が生まれてゆきます。
お仏壇の飾りかた
分派が多く、また地域による違いもあり、飾りかたはさまざまですが一例をあげます。高野山真言宗では中央にご本尊である大日如来を、向かって右側に弘法大師、左に不動明王をまつります。豊山派・智山派では左に興教大師覚鑁、あるいはそのかわりに不動明王か、観世音菩薩や地蔵菩薩などをまつることが多いようです。
※これは一例です。地域や仏壇の大小などによってまつり方に違いがありますので、
正しくは菩提寺にお聞きください。
正しくは菩提寺にお聞きください。
主な行事
1月
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1~14日
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修正会
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8~14日
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御七日御修法
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2月
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立春の前日
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節分星供
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15日
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常楽会
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21日
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正御影供
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4月
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8日
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仏生会
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5月
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3~5日
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結縁潅頂
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6月
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15日
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大師降誕会
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12月
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8日
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成道会
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