数珠について

数珠について

仏教徒にとっては忘れてはならない必需品

お仏壇に向かって礼拝するときや、お葬式、法事、お彼岸の墓参りのときに手にするのが、数珠(じゅず)です。“珠数”とも書き、念珠(ねんじゅ)とも呼びます。もともとは、念仏を唱える際に、何回唱えたかを数えるため一声ごとに一玉づつ繰って用いられていました。

数珠の珠の数は、108個が基本となっています。というのは、私たちの心が108にも動き、変わり、乱れるということからで、これを108煩悩といっています。しかし、実際私たちが使っている数珠の珠の数は、108以外にも、持ちやすいように半分の54、またその半分の27、108個にちなんだ18などいろいろな形式があります。珠には、親玉といわれ、房のついているT字型の穴のあいているものがあり、これが数珠の中心となります。丸く輪になっているのは、仏の心を私たちの心の中に通し、心が丸くすなおになることを意味しています。

数珠を持つときは、両手を合わせ、人差し指と親指の間にかけます。そして、ふだん手に持つときは左の手首にかけます。
数珠は宗派によってもそのかたちが違います。一般の人たちは各宗派用の一連の数珠を使うことが多いようです。

数珠の功徳

数珠には、いったいどのような功徳があるのでしょうか。
廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていた明治の頃、曹洞宗の管長だった西有穆山禅師は、馬車に一台もの数珠を買ってきて、出会う人ごとに「仏教を信じなされ。幸福を与え、身を護る数珠でござる」と、街頭伝道をしたそうです。

数珠には如意宝珠のような除災招福の神力があるとされ、持っているだけで魔除けになるのです。また、もろもろの願いが叶いますようにと、昔から数珠には、表からは口という字、裏からは十と読める「叶う結び」という紐の結び方があります。信仰を深めていくには、まず何よりも念じることが大切なことなのです。

数珠の起源

昔、お釈迦さまが、国中に疫病が流行って困っていた難陀国の王に「百八の木?子の実をつないで、いつも手にして心から三宝(仏・法・僧)の名を唱えなさい。そうすれば煩悩が消え、災いもなくなります。心身も楽になるでしょう」と語ったことが、『仏説木?子経』に説かれています。国王はそれを聞いて以来、いつも数珠を手にして、毎日念仏を唱えました。すると、悪病もたちまち退散して人々は幸せになりました。

その後、この数珠に数の概念や、一つ一つの珠に意味づけがされ、経典にも説かれて、仏教の法具として欠くべからざるものになっていきました。
仏教が、中国から日本に伝来したときに、数珠も一緒に伝わってきました。正倉院には、聖徳太子が愛用していた蜻蛉玉金剛子の数珠や、聖武天皇の遺品である水精(晶)と琥珀の念珠二連が現存しています。すなわち、天平年間には数珠が伝えられていたことになります。

それが仏具として僧侶以外の一般の人々にも親しまれるようになったのは、鎌倉時代以降のことです。現在の珠数は宗派によってもそのかたちが違っています。
右に各宗派で使う珠数の特徴を記しておきます。

各宗派の数珠の特長

天台宗
真言宗
浄土宗
浄土真宗
曹洞宗
日蓮宗
天台宗
平珠が多い。主珠108個、親玉1個、四天4個で構成され、2本の房にはそれぞれ、平珠20個、丸珠10個がつけられている。
真言宗
数珠の持つ意味を重要視している真言宗では、108という数を金剛界の百八尊、親玉は大日如来の智慧を表し、四天は宇宙を表現した曼陀羅の四方四仏という解釈をしている。
浄土宗/ 時宗
僧侶が儀式のときに使う荘厳数珠、数取りのできる日課数珠、大勢で称える百万遍数珠などがある。日課数珠には二連の輪違いの数珠が多く用いられている。
浄土真宗
念仏を称えることを行とは考えないので、真宗には数取りができない「蓮如結び」という紐の結び方がある。
曹洞宗
禅宗では「出入りの息をもって念珠となす」という姿勢があり、座禅を重んじているため数珠の作法に規定がない。また、数珠に環がついているものが多い。
日蓮宗
他の宗派にない祈祷用の珠数が多い。特に房の組み方と寸法が他宗派とは異なる。